賛美礼拝について
「賛美を栄光に輝かせよ!」(詩編66:2)
Ⅰ.聖書的側面 「ダビデの幕屋」
聖霊降臨によって誕生した初代教会に於ける礼拝形態の原型は“ダビデの幕屋”です。
神はダビデに賛美の礎を渡されました。大白然の中で育ったダビデは若い頃から立琴を奏で、多くの叙情詩を作りました。ダビデの卓越した音楽性は、彼の心の中で神への賛美として編成されました。
イスラエルの第二代王とされたダビデは偉大な軍事的指導者であり、諸部族を征服し、統一平和国家を築きました。しかし、イスラエル史にとってダビデの最大の功績はむしろ彼の偉大な宗教(信仰)的事業にあったと言えます。
ダビデは首都をエルサレムに定め、そこに“神の箱”を移し、祭司制度を制定し、国家宗教としての基礎を築きました。
ダビデは神の箱を安置する所として神殿建設を切望しましたが、神はそれを許されず、息子ソロモンが神殿を建てられる様、資材の準備をしました。
神はダビデを用いて、約450年以上に渡って保たれて来たモーセの幕屋に於ける宗教行事の形態を刷新されました。それを神はダビデに啓示されたのです。“賛美”を中心としたダビデの幕屋に於ける礼拝のはじまりです。
「それで、シロの御住まい、人々の中にお建てになったその幕屋(モーセの幕屋に於ける儀式)を見放し」(詩78:60)「ユダを選び、主が愛されたシオンの山を選ばれた。主はその聖所を高い天のように<天にある聖所に従って>、ご自分が永遠に基を据えた堅い地のようにお建てになった。主はまた、しもベダビデを選び‥‥」(詩78:68-70)とありますように、神はシオンにダビデの幕屋を建てられました。モーセの幕屋に於いては、「私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったからである。」(Ⅰ歴代13:3)とありますが、大祭司一人だけが、香の煙りが“贖いのふた”を覆うのを待ってその務めをしました。(レビ16:13)
ところが、ダビデはモーセの幕屋とは別の天幕を造り、その真ん中に“神の箱”を置きました。「こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った幕屋の真ん中に安置した。」(Ⅰ歴代16:1) さらに卓越した音楽家達を選び出し、壮大な聖歌隊を編成し、24時間体制で神の箱の前において賛美させました。ダビデは神がイスラエルの賛美の中に住まわれ御統治される事を知っていたのです。(詩22:3)
この事は、やがて来たらんとする新約の教会における礼拝形態となるのです。
エルサレムでの使徒会議で議長を務めたヤコブは、その締めくくりに、アモス書9章11節を引用しています。
「『この後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化しか幕屋を建て直し、それをもとどおりにする。』」(使徒15:16)
ダビデの幕屋に於いては、真中に“神の箱”が安置され、多くのレビ人や祭司たちによって賛美がなされました。
ですから、“建て直されるダビデの幕屋”の中心的な意義は「賛美礼拝」を指しているのです。この賛美礼拝によってこそ神の御臨在が与えられ、会衆一人ひとりが主に触れられ、いやしと解放が起こるのです。そして、そこで豊かな賛美が捧げられる事によって、語られるメッセージは祝福となり、人を生かす御言葉となるのです。
「文字は殺し、御霊は生かすからです。」(Ⅱコリント3:6)
賛美の位置づけ
賛美は‘説教の前の心の準備’と考えている方も少なくないようですが、決してそうではありません。
賛美こそ礼拝そのものなのです。
賛美の中に来られる偉大なる主に向かって、威光と尊厳、栄光、栄誉をお捧げする心で賛美するのです。
それを花嫁の声として主がお聴き下さるからです。その後に語られるメッセージを、花婿の声として受け取る時、それは花嫁にとって豊かな祝福となるのです。
「楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。』
と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。」(エレミヤ33:11)
そして、主イエスは、わたしたちが二つの方法、すなわち霊とまことをもって、礼拝すべきであると語られました。
「しかし、真の礼拝者たちが‘霊’と‘まこと’によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。
父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊であるから、礼拝する者も霊とまことをもって礼拝すべきである。」(ヨハネ4 :23~24)
その一つは、霊による礼拝です。わたしたちは神から霊、魂、体が与えられていますが、霊は人格の本質的な部分です。私たちの本質が礼拝を行うことによって、魂も、からだも礼拝に導かれます。その結果、私たちは全身全霊をもって礼拝するのです。
霊は聖霊様をお迎えする場所です。聖霊様を歓迎し、聖霊様に導かれて礼拝するのです。聖霊様に心を向けず、感情だけに支配されてしまっては、主に喜ばれる礼拝を捧げることはできません。
「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(ダビデがアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき) 詩34:1
「ハレルヤ、私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」詩111:1
「わたしは心をつくして主に感謝し、あなたの奇しいわざをことごとく語り告げます。」詩9 :1
二つ目は、「まことをもって」する礼拝です。
それは、誠実さ・真実をもって主の前に立つために、主の御言葉という土台が必要だからです。
不真実な私たちが真実であるためには、常に主の御言葉の上に立たなければなりません。
私たち自身が御言葉によって整えられ、そして礼拝を捧げるのです。日々の御言葉の学びが、私たちを真の礼拝者にするのです。さらに、神の御言葉は真理であり、真理はあらゆるしがらみから、あらゆる宗教の伝統から私たちを自由にします。
「真理によって彼らを聖め分けてください。あなたのみことばは真理です」ヨハネ17:17
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8:32
Ⅱ.実際的側面
賛美礼拝のビジョンの確立
神は秩序のお方ですから、礼拝の運び方は、調和を重んじなければなりません。
私は1974年11月初句から、約一ケ月間に亘り、カナダ・アメリカの20余りの教会(諸教派)を訪問する機会が与えられました。
さまざまな集会で、たくさんの祝福に与りました。そして、この旅を通して、二つのビジョンが与えられました。
その一つは、クリスチャンホームの形成です。今年で開拓55年になりますが、四世代の礼拝者はもとより、結婚した長女、長男や次女からそれぞれの両親祖父母まで、四世代で忠実な教会員です。
またこれは教会員にも言えることで、現在、教会のさまざまな働きにおいて、二世、三世が活躍しています。
そしてもう一つが、“賛美礼拝の確立”です。私の子供たちには、幼い時から、教会でも家庭でも、また自動車の中でも、美しい教会音楽のテープを流し、賛美に触れるようにしました。
やがて成長するにつれて、教会音楽へのビジョンと重荷を持つようになり、現在は賛美の指導に当たってくれています。
長女は、主にクリスチャンホームの二世の子供達にピアノを教えていましたが、楽器隊を編成するに当たり、それぞれ他にもう一つの楽器を奏でられるように指導し、50人から或るダビデの楽器隊を組んで演奏していました。
現在は、長男が教会音楽の担当をしており、また新たな方向性に導かれています。
“賛美礼拝の確立”というビジョンが与えられ、学びと実践指導に取り組んで以来、礼拝は主の臨在が豊かになり、秩序の中に自由を体験するようになりました。
いろいろな立場の方々から、賛美についての質問を受けます。“どのような礼拝を捧げたいかという、明確なイメージを描くことは、たいへん重要なことだと思っています。
司会に備えて霊性を整える*
(1)主との交わり
神との個人的な交わりを通して、主の思いに近づき、人間的な考え方が清められ変えられるように主に委ねる。
(2)御言葉を読む
心の中に聖霊の方向づけを受け入れつつ備えをする。主の御霊は御言とずれないことを示される。
(3)御声を待ち望む
神の御声を聞く時を待つ。自分の様々な考え方でまとめる前に、主の前に静まって、聖書が何を話そうとしておられるのか耳を傾ける。
(4)心を合わせて祈る(伴奏者・聖歌隊・PA等奉仕者スタッフと)
これは礼拝の務めをする人にとって、重要なことである。務めに携わる人々は集会の始まる前に一致していなければならない。
曲の組立*
礼拝の曲を選ぶとき、考慮すべき重要な二つのこと。
(1)礼拝賛美リードのつながり
1.テーマに添って選ぶこと。
共通性‥‥ちぐはぐにならないように気をつける。
例:調子やテーマがはずれた組み合わせ(賛美-悔い改め-霊の戦い-愛-罪の清め-喜び)
例:テーマに添った組み合わせ(感謝-賛美-愛-愛-礼拝)
2.コードによるつながり
できるだけ同じキーの歌を選ぶ。幾つかのキーを使う場合は順番に上がっていくように組む。
例:①C-D-E♭-F ②F-F-F-G
(2〉礼拝の流れ
1.方向
a.人々を礼拝に導いて行く。
b.川の流れのように歌から歌へとスムーズに導いて行く。
注:歌と歌との間の話し方(話し過ぎ)で流れを止めないように。
2.バランス
a.テーマに添って盛り上げて行くために、詩篇や聖歌、霊の歌をフルに活用する。
b.単調にならない為に、いろいろなスタイルを用いる。(フォークだけ、ソウルだけ、現代調だけにならないように。)
c.いろいろなテンポを用いる。(早い曲だけ、遅い曲だけ、重い曲だけにならないように。)
d.コーラスのバラエティーを効果的にする。(新曲だけに、また、古い曲だけに片寄らないように。)
司会者の在り方*
(1)態度
- いきいきとした爽やかな態度で。
- 活気に満ち、スマイルを持って。
- 暖かく親しみを込めて振る舞う。
- 熱意を持って歯切れ良く、楽しげに。
(2〉方向
-
- 責任感を持って大胆に礼拝をリードする。
- 熱心な態度で指導性を発揮する。
- 歌と歌との間に話しすぎることはなるべく避ける。
これはしばしば礼拝の流れを妨げる。又、会衆の反応が良くないことに対して責めたりしない。 - コーラスの出だしの音をつかむ。
次のコーラスに移るとき、司会者は前もって正しい音程をつかんでいなければならない。 - 会衆をあまり長時間立たせない。
- 司会者自らが礼拝者である。
又、会衆の目が主に向かって高められていくようにする。 - 快活で明るい曲から入っていくと良い。
- 礼拝が盛り上がったとき、流れを損なわないように霊の動きに敏感であること。
- 霊の流れが豊かになるのを感じるまでは、無理に霊の歌や預言がなされるように仕向けなくても良い。
- 主の歌を歌う人は長老の右に、預言する人は左に立たせ、明確な方向づけを与える。主の歌の後に預言が来る。(秩序ある礼拝)
- 務めの後に、賛美礼拝に導き入れる時がいつであるか、敏感であること。解放し過ぎると沈んでしまうこともある。
- 主を待つことを恐れてはならない。霊の務めがないことによって、次を急ごうとしないように。
叉、必要以上に長く待ち過ぎることもないように。 - 良い見本であること。積極的であること。そして、失敗することを恐れたりしないこと。
*「Worship Leaders’ Guide」Shari Iverson著 より引用